言葉にできないものを聴くために、音楽がある。
“Music exists to let us hear what cannot be said.”
— J.M.G. Le Clézio
でも本当は、
言葉にできないものを抱えたまま
生きるために、音楽がある。
What if this feeling became the song?
もしもこの感情が音になったら?
目を閉じる。
色を見る。
質感を思い出すように、感じる。
音と、表現したいことの葛藤で、
心が殺されたような気持ちになることがある。
何度も。
それでも。
音に触れた日は、
疲れていても、生きている感じがする。
シンセが血管を通る。
まだ内側で鳴っている。
頭の中はジリジリしている。
でもそれは、
インスピレーションが通ったあとだと思いたい。
もしも肌を破いて中を覗けたなら、
そこには、たくさんの音楽と言葉がある。
音にこだわることで、
自分の内側を魚眼レンズ越しに見るようになった。
話すことは苦手だと思っていた自分が、
言葉を選ぶことを愛するようになった。
自分の美学を知りたくなった。
磨きたくなった。
世間や人のためではなく。
自分自身を生きるために。
My heart woke me up crying last night.
“How can I help?” I begged.
My heart said,
Make the sound.
苦しさの答えは、創ることだった。
それは、自分が自分でいること。
何を出すかではなく、
まずどう在るか。
体のどこかで鳴っている疼きを
どう外に出すか考える前に、
なぜざわついているのか。
それはどんな形をしているのか。
どんな色をしているのか。
すべては、
あなたの創りたいものに変換できる。
I offer sound.
Not chasing trends.
Just what’s real.
Not to impress.
Just to reach those who truly get it.
音を差し出している。
流行を追うつもりはない。
感じ合える人と、
感じ合うために。
表面の上っ面に乗っかるものたちが評価され、
繊細なホンモノたちが黙る時代。
派手なものはすぐ拡散される。
深いものは、静かに沈む。
偽りは声が大きい。
本物は、ためらう。
繊細であることは、
時に不利だ。
でも。
不利であることと、
間違っていることは違う。
ナイフのような言葉だとわかっている。
でもそれは危険ではなく、覚悟。
沈黙を不在だと勘違いする人は多い。
沈黙は、消失じゃない。
沈黙は、研ぎ。
その中で削れていくものもある。
残るものもある。
残ったものが、私だ。
言葉で。
音で。
切っていく。
I’m still me.


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